アオシマ 日本海軍戦艦 扶桑 (ふそう) 1938 (フルハルモデル) 1/700 艦船シリーズ 045121 プラモデル

ホーム 艦船 アオシマ 1/700 艦船シリーズ

日本海軍戦艦 扶桑 (ふそう) 1938 (フルハルモデル)

販売価格

3,080円 2,772円(税込)

購入数 SOLD OUT

「日本海軍戦艦 扶桑 (ふそう) 1938 (フルハルモデル) (プラモデル) (アオシマ 1/700 艦船シリーズ  No.045121 )」です

●「日本海軍戦艦 扶桑 (ふそう) 1938 (フルハルモデル)」です

●帝国海軍の戦艦「扶桑」を1/700スケールで再現したプラスチックモデル組立キット、第3主砲塔上部にカタパルトが設置された1938年における状態を再現した内容となっています

【 戦艦「扶桑」について 】


●1906年に竣工したイギリス海軍の戦艦「ドレッドノート」は、それまでの戦艦が主砲の他に副砲、中間砲というハリネズミ式の武装配置をしているのに対し、単一口径の主砲をメインとした配置により強力な攻撃力を持つ革新的な艦となりました

●この艦の登場により、従来型の戦艦は時代遅れとなり、各国は、この「ドレッドノート」に準じた戦艦「ド級艦」、そしてその能力を更に進化させた「超ド級艦」を積極的に建造することとなります

●帝国海軍は、日露戦争後においては艦艇の建造を日本で行なっていましたが、建造技術習得のために、この「超ド級艦」の巡洋戦艦として「金剛」の建造をイギリスに発注しました
●この「金剛」の同型艦を建造することで、「超ド級艦」のノウハウを得た帝国海軍は、続いて戦艦である「扶桑級」の建造を開始し、1915年に「扶桑」、1917年に「山城」を竣工させます

●この「扶桑級」戦艦は、当時の戦艦としては最大且つ最強を誇り、30,000tの排水量に「36cm連装砲」を6門搭載し、「金剛級」の1.5倍の攻撃力を持っていました
●しかし、中央の主砲塔がボイラーを挟むように配置されていたために、艦の構造上、弾薬庫を分散配置させなければならず、また防弾機能の効率化という点からも防御力に難点が有り、この問題は後年においても同艦の足枷となっています

●一方、当時の世界各国における戦艦の建造技術の進歩は目覚しいものがあり、出現当初は最強を誇った「扶桑級」も、その能力は次第に時代遅れとなって行きます

●「扶桑」は竣工時から度々改装が行なわれましたが、1930年に近代化の第1次の大改装を実施、機関出力の増強と防御力の向上、そして主砲の仰角の引き上げにより最大射程が伸ばされました
●また、艦橋構造物が大幅に増設され、艦橋の高さが50mにもなる艦影を持つことになり、「扶桑級」の最大の特徴となっています

●続いて1934年には第2次の改装が行なわれ、艦尾の延長とバルジの増設、機関出力の更なる増強が行なわれましたが、最大速度は24.7ノットに止まり、速力、防御力の点から戦艦としての能力に見劣りするのも事実でした
●この改装にあたっては、当時は艦載機の搭載方式の試行錯誤が行なわれていた時期であり、「扶桑」は第3主砲塔上部にカタパルトが設置され、それに伴い、甲板上には上部へと伸びる航空機軌条が取り付けられました
 ・ その後、1940年の改装の際に、艦載機の搭載は艦尾へと移設されています

●太平洋戦争が開戦時、「扶桑」は「山城」と共に主力艦隊である第1艦隊第2戦隊に所属、真珠湾攻撃部隊の支援や、東京初空襲時の迎撃任務に出撃した以外は内地に留まっています
●1942年6月の「ミッドウェー海戦」では、機動部隊の攻撃により退避した敵艦隊を撃滅するという警戒艦隊としてアリューシャン南方へと向かいますが、作戦失敗を受けて帰還しました

●その後、連合艦隊は、ソロモン海域での連合国側艦隊との死闘が繰り広げれられていましたが、前述のように速度と防御力の点と、戦艦同士の艦隊戦により雌雄を決するという帝国海軍の伝統的な考えにより、「扶桑」は内地において練習用として温存されています
●1943年7月に「扶桑」はトラック島へと進出、数回に渡り任務のために出撃しますが、結局接敵の機会は有りませんでした

●1944年10月に行なわれた「レイテ沖海戦」では、「扶桑」は「山城」と共に「西村艦隊」に配属され、主力の「栗田艦隊」と別行動を取りながら同時にレイテ沖を目指し敵艦隊と輸送船団を叩くという遊撃的な任務を与えられます
●「西村艦隊」は、フィリピンの南部からレイテ沖へと進行、敵艦載機の攻撃が「栗田艦隊」へと集中している隙を突いてレイテ沖へと辿り付きます
●レイテ島南部のスリガオ海峡において「西村艦隊」はアメリカ艦隊と夜間に交戦、「西村艦隊」の接近を知るアメリカ艦隊の待ち伏せ、そしてレーダーによる精密な射撃により「扶桑」は被雷、被弾し、その姿を波間に沈め生涯を終えています


【 「日本海軍戦艦 扶桑 1938」のキット内容について 】


●この帝国海軍の戦艦「扶桑」を再現したプラスチックモデル組立てキットです

●キットは、同社ウォーターラインシリーズのフルハルバージョンとして船体下部も再現、作り易さが考慮されながらもパーツ分割や細かなディテールにより、実艦の持つ雰囲気がシャープに表現された内容となっています

●アオシマ製「日本戦艦 扶桑 1944」のキットをベースとしながら、船体や甲板部分を中心に大幅に新規パーツを追加、「戦艦 扶桑」のリニューアル版キット第1弾となります


●「扶桑」の船体部は左右分割式で、これに上甲板、上部構造物、各艤装類を取り付ける構成となっています

●船体部には、副砲のデッキ部分が一体成型され、細部では舷側の舷窓、アンカーレセス、フェアリーダー、外板継ぎ目などが再現、ビルジキール、バルジ部分も表現されています
 ・ 船体下部のシャフト、プロペラ(スクリュー)、舵がパーツ化
 ・ 展示用の台座が付属しています

●上甲板は、船首楼甲板前部、後部甲板の2分割となっています
 ・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現などの基本躯体の他、ボラード、昇降口、通風筒などの細かなディテールが再現

●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「煙突部」「後部構造物」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます


「扶桑」の艦上の構造物は下記のようなパーツで構成されています
●艦橋
 ・ 艦橋は12層で構成され、トップには射撃指揮所、測距儀が別パーツとなっています
 ・ 各艦橋の窓の枠がモールドされています
 ・ 艦橋を構成するための前檣楼支柱が別パーツ化されています
 ・ 艦橋部分を構成する、4.5m測距儀(×2)、高角測距儀(×2)、94式高射装置(×2)、60cm探照灯(×2)、25mm連装機銃(×4)、12.7cm連装高角砲(×2)などがパーツ化されています

● 煙突
 ・ 本体部分は左右分割式で、上部は別パーツとなっています
 ・ 梯子などがモールドで再現
 ・ 煙突周囲の各管は煙突パーツに一体成型、一部は別パーツにて再現
 ・ 煙突下部の構造物には機銃座が一体成型されています
 ・ 煙突部の探照灯台座は、ブロックごとにパーツ化されています
 ・ 探照灯台座の支柱部分は1パーツで構成され、シャープなモールドによりトラス構造を再現
 ・ 「110cm探照灯」×6、「25mm連装機銃」×4が付属

●後部艦橋
 ・ 後部艦橋の主要部は6パーツで構成、後檣が別パーツで再現されています
 ・ 後檣は1本の単檣で、上部のヤード、ガフは別パーツ化されています
 ・ 主砲方位盤、観測鏡などが別パーツとなっています
 ・ 「12.7cm連装高角砲」(×2)が付属しています

●カタパルト「呉式2号4型射出機」 ×1
 ・ カタパルトは左右分割式で、トラス部分、上部のディテールが再現されています

●主砲塔部「45口径41式 36cm連装砲」 ×6
 ・ 砲身部分は1本づつの分割式で、砲身基部の外とう砲取り付け金具、防水布が再現されています
 ・ 測距儀は別パーツとなっています
 ・ 主砲塔はポリキャップにより旋回可能です

●副砲「50口径3年式 14cm単装砲」 ×14
 ・ 砲塔部分と砲身部とは一体成型となっており、砲身基部の防水布が再現されています

●高角砲「40口径89式 12.7cm連装高角砲(A1型)」 ×4
 ・ 高角砲はシールド部分と砲身本体との分割式で、砲身部分は連装式に一体成型されています
 
●対空機銃
 ・ 25mm 連装機銃 ×8(艦橋、煙突部に配置)

●内火艇、カッター及びボートダビッド
 ・ 11m内火艇 ×1
 ・ 12m内火ランチ ×2
 ・ 9mカッター ×2

●その他の艤装を再現したパーツとして
 ・ 艦首、艦尾旗竿
 ・ 錨、副錨
 ・ 菊花紋章
 ・ クレーン
 ・ 航空機軌条
 などがセットされています

●キットには、静岡模型教材協同組合「大型艦兵装セット」のランナーが2枚付属しており、高角砲、機銃、内火艇などは同ランナーのパーツを使用します

●艦尾の軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、艦載機の日の丸マークを再現したデカールが付属しています
 
 
●2011年 完全新金型 (武装、一部の艤装パーツを除く)
 「日本戦艦 扶桑 1944」を廃番とし、大幅に新規パーツを追加した「扶桑」リニューアル第1弾



詳しくは、コチラより、ご利用ガイド

この商品のカテゴリー

これまで見た商品