ハセガワ 日本海軍 戦艦 三笠 黄海海戦 1/350 Z帯シリーズ 40061 プラモデル

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日本海軍 戦艦 三笠 黄海海戦

販売価格

7,480円 6,732円(税込)

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「日本海軍 戦艦 三笠 黄海海戦 (プラモデル) (ハセガワ 1/350 Z帯シリーズ  No.40061 )」です


●日露戦争における帝国海軍の戦艦「三笠」を1/350スケールで再現したプラスチックモデル組立キットで、1904年の「黄海海戦」時の状態が表現されています

●ハセガワ社製「日本海軍戦艦 三笠 日本海海戦」をベースとし、「黄海海戦」時を再現するためにマストのファイティングトップ、通風管、4.7cm砲、マストのヤードなどを追加したバリエーションキットとなります

【 「日本海軍 戦艦 三笠 黄海海戦 (ハセガワ 1/350 Z帯シリーズ 40061)」のプラモデルの内容について 】


●「黄海海戦」時における戦艦「三笠」を再現したプラスチックモデル組立てキットです

●戦艦「三笠」をシャープに再現、背の低い艦橋に高いマスト、各種砲が並んだ舷側部など当時最強を誇った連合艦隊旗艦の重厚感在るフォルムが表現された内容となっています

●「戦艦 三笠」の「黄海海戦」時の状態を再現、この「黄海海戦」時の状態は「新造時」と同じであり、日露戦争勃発以前の白と黒とで塗装された姿で仕上げることもできます

●船体下部も再現したフルハルモデルです

「三笠」の船体構造は下記のパーツで構成しています
●「三笠」の船体部は左右分割のパーツで構成、これに上甲板、上部構造物、各艤装類を取り付けるようになっています

●船体部には、副砲開口部とビルジキールが一体成型され、細部では舷側の舷窓、艦尾の扉、梯子、アンカーレセスなどが再現、鋼板の継ぎ目も表現されています
 ・ 舷窓上部には雨樋がモールド再現
 ・ 船体に歪みを防ぐ桁が用意されています
 ・ 船体下部の推進軸、スクリュー、舵がパーツ化されています
 ・ 船体下部側面の魚雷発射管がモールドにて再現

●上甲板は、艦首、中央部、艦尾の3分割式となっています
 ・ 甲板上には、主砲塔台座、木甲板表現などの基本躯体の他、アンカー導板、昇降口、採光用窓などのディテールが再現
 ・ フェアリーダー、ボラード、ケーブルホルダー、キャプスタンなどは別パーツとなっています

●上甲板上の構築物となる「艦橋部」「主砲部」「煙突部」「後部艦橋部」「ボートデッキ部」「マスト部」などを個別にブロック化して構成、それぞれを甲板上に取り付けて完成させます

日本海軍 戦艦 三笠 黄海海戦 (ハセガワ 1/350 Z帯シリーズ 40061)の商品画像

「三笠」の艦上の構造物は下記のパーツで構成しています
●艦橋
 ・ 艦橋は、上部と下部の2層のブロックと、それを繋ぐデッキ部とで構成されています
 ・ 艦橋上部と下部は各パネルを貼り合わせる箱組み方式です
 ・ 艦橋上部の窓枠と、艦橋下部の舷窓、扉がモールドされています
 ・ 艦橋部の各甲板には木甲板表現が彫刻されています
 ・ 艦橋トップの指揮所には、羅針盤、測距儀がパーツ化
 ・ 指揮所と艦橋甲板には、キャンバスで覆われた手摺りのパーツが用意されています
 ・ 4.7cm単装砲(×4)、探照灯(×2)、救命具(×2)が付属しています
 ・ ラッタルがパーツ化されています

●主砲部「40口径 30.5cm連装砲」
 ・ 主砲塔は上下分割式となっています
 ・ 砲身は1本ずつ成型され、上下可動式です

● 煙突
 ・ 本体部分は左右分割式で、上部のカバー部が別パーツとなっています
 ・ 各副管は別パーツとなっています
 ・ 煙突下部の構造物は各パネルを貼り合わせる箱組み方式です
 ・ 構造物側面には舷窓、扉、ラッタルなどがモールドされています
 ・ 構造物上の通気口は別パーツです

●後部艦橋
 ・ 後部艦橋は、上部と下部の2層のブロックと、それを繋ぐデッキ部とで構成されています
 ・ 艦橋上部と下部は各パネルを貼り合わせる箱組み方式です
 ・ 艦橋上部の窓枠と、艦橋下部の舷窓、扉がモールドされています
 ・ 艦橋部の各甲板には木甲板表現が彫刻されています
 ・ 艦橋トップの指揮所には、羅針盤がパーツ化
 ・ 指揮所と艦橋甲板には、キャンバスで覆われた手摺りのパーツが用意されています
 ・ 7.6cm単装砲(×4)、探照灯(×2)、救命具(×2)が付属しています
 ・ ラッタルがパーツ化されています

●ボートデッキ
 ・ ボートデッキは支柱も含めて一体成型されています
 ・ デッキ上部には滑り止めパターンが彫刻
 ・ ボートデッキ前後の砲郭は、左右分割式です
 ・ ボートデッキ上部には7.6cm砲(×8)が付属

●マスト
 ・ マストは単檣型で、各ヤードは別パーツとなっています
 ・ 中央部のファイティングトップと、見張り台は左右分割式で、支柱部分は別パーツです
 ・ 見張り台には、キャンバスで覆われた手摺りのパーツが用意されています
 ・ 4.7cm単装砲(×各4)、探照灯(×各1)が付属

●副砲「40口径 15.2cm単装砲」 ×14
 ・ 砲身、砲尾、シールド部が一体成型となっています

●補助砲「40口径 7.6cm単装砲」 ×28(艦橋部などを含む)
 ・ 補助砲は、砲身、砲架、シールド部一体成型となっています
 
●内火艇、カッター及びボートダビッド
 ・ 17m内火艇 ×2
 ・ 11m内火艇 ×1
 ・ 11mカッター×1
 ・ 9mカッター ×11
 ・ 8mカッター×1

●その他の艤装を再現したパーツとして
 ・ 艦首、艦尾旗竿
 ・ 錨、副錨
 ・ 菊花紋章
 ・ キャットウォーク
 ・ 艦尾スタンウォーク
 ・ 防雷網
 などがセットされています

●アンカーチェーンを再現するための金属チェーンが付属

●展示用のスタンドが付属しています

●説明書には、「戦艦 三笠」の2種類の塗装例が記載されています
 ・ 黄海開戦時 (1904年8月) : 軍艦色塗装
 ・ 新造時 (1902年~1904年1月) : 白と黒のツートン塗装

●軍艦旗(直線タイプとなびいている状態の2種)、長官旗、艦名表記などを再現したデカールが付属しています
 ・ スタンドのネームプレート用のデカールも付属


●スポット生産品
 

【 「日本海軍 戦艦 三笠 黄海海戦 (ハセガワ 1/350 Z帯シリーズ 40061)」のパッケージ内容 】


 ・ 戦艦 三笠 黄海開戦時 ×1
 ・ 金属チェーン ×1
 ・ 展示台 ×1
 ・ デカールシート ×1
 ・ 組立説明書 ×1


【 「日本海軍 戦艦 三笠 黄海海戦時」について 】


●「日清戦争」の勝利により、日本は朝鮮での一定の権益を獲得しましたが、ロシア、フランス、ドイツによる、いわゆる「3国干渉」によって、講和条約で戦時賠償として獲得した遼東半島は放棄せざるを得なくなりました

●南下政策によって領土と権益の拡大を図るロシアは、「清」(当時の中国王朝)との条約を締結し、遼東半島の使用権を確保、朝鮮内での様々な権益を拡大して行きました
●これらのロシアの行動により日本国内での反ロシア感情は頂点に達し、帝国海軍、陸軍内でもロシアとの開戦はやむなしという機運となります

●しかし、当時有数の海軍と膨大な兵力を持つロシアとの戦争は戦力的に無理が有り、我が国は急激なピッチで軍備の整備が行うことになります

●帝国海軍では、6隻の戦艦と6隻の装甲巡洋艦を装備する「66艦隊計画」を進め、その中核となったのが4隻の「敷島型戦艦」でした
●戦艦「三笠」は、その「敷島型戦艦」の4番艦にあたり、1902年に竣工、主砲として「30.5cm砲」を4門、副砲として「15.2cm砲」を14門装備しています
●「敷島型戦艦」の装甲には「ハーヴェイ鋼」を使用しているのに対して、この「三笠」には高い防御力を持つ「クルップ鋼」を採用、他の3艦よりも強力で、世界的にも最強レベルの戦艦でした
 ・ 当時の日本は、造船技術がまだ未熟であり、主力艦艇は外国から輸入され、「三笠」はイギリスのヴィッカース社で建造されています

●「三笠」は、この能力を買われて1903年に連合艦隊の旗艦へと就役します

●1904年に日露戦争が勃発、この戦争の主役は陸上戦闘でありましたが、陸上戦力の補給線となる日本海の制海権の確保が戦争の趨勢を決定する極めて重要な要素となっており、帝国海軍はその任務を果たすために全力を尽くします

●当時のロシア海軍は、世界有数の海軍を保有しており、その戦力は帝国海軍の約2倍となっていました
●ただし、この戦力は、広大なロシア領内に分散配備され、極東地域には遼東半島の旅順港の「旅順艦隊」、及びウラジオストックに配備された「分遣隊」、西ヨーロッパではバルト海に配備された「バルチック艦隊」と、黒海に配備された「黒海艦隊」が存在していました

●これらのロシア艦隊が集結して帝国海軍との決戦となると、戦力的に大きな隔たりとなってしまうので、帝国海軍はまず「旅順艦隊」との決戦を行なうことを選択します

●しかし、ロシア海軍側は旅順港内に引き込もって「旅順艦隊」を温存(旅順港の入り口には強固な砲台が設置されていた)、ヨーロッパの艦隊をアジアへと回航させます

●ところが、陸上戦闘の結果、旅順港は日本軍側に包囲され、地上からの砲撃が「旅順艦隊」へと届くようになりました
 ・ この時点では、着弾観測が可能な地点は日本軍に占領されておらず、正確な砲撃は行われていません

●旅順港内が安全な場所たりえなくなったため「旅順艦隊」は1904年8月に出航、一路ウラジオストックを目指します
●これを阻止、撃退するために「連合艦隊」との間で発生した戦闘が「黄海海戦」です
 ・ 日清戦争時にも同名の海戦が存在します

●「旅順艦隊」の出撃を待ち構えていた「連合艦隊」は決戦を挑みますが、ロシア側は戦いを避けるように行動、彼我の距離が詰まらないまま遠距離での砲撃戦が展開されます
●この時、「旅順艦隊」の旗艦「ツェサレーヴィチ」の艦橋に砲弾2発が着弾、操舵手が戦死して、舵が回頭状態のままとなってしまい、続行する「旅順艦隊」は混乱してしまいます
●この結果、多くの艦が被弾、極少数がウラジオストックに辿り着けただけで、残存艦は旅順へと逃げ戻ることになりました

●海戦の結果は、日本軍側の勝利となりましたが、「旅順艦隊」の撃滅という目的は果たせず、陸上からの旅順港攻略が進められました
 ・ 旅順港の周囲は、厳重な要塞化が図られていたために日本軍側に多大な出血を強いりました

●一方、「連合艦隊」では「黄海海戦」の戦訓から入念な作戦の見直しが行なわれます
●これにより考えられたのが「丁字戦法」で、敵艦隊の前に横一直線状に艦を展開、前後の砲が射撃できることにより攻撃力が倍増し、また、敵進路上に艦隊が存在することで、敵の規制を制することができました
●ただし、この戦法は実際の運用が難しく、絶妙なタイミングによって艦隊を動かす必要が有りました
 ・ 「黄海海戦」でもこの戦法が試みられましたが、敵艦隊との距離が遠かったために、効果的とはならなかったようです

●ロシア軍側は「バルチック艦隊」を希望峰回りでマダガスカル島へと進め、黒海から出航した「黒海艦隊」と合流、一路日本海へと向かわせます

●1905年5月、「バルチック艦隊」と「連合艦隊」との間で「日本海海戦」が発生、結果的に日本軍側の一方的な勝利となりましたが、「黄海海戦」による経験が活かされた勝利とも言える戦いでした

●「黄海海戦」における戦艦「三笠」は、「日本海海戦」の際とは細部が若干異なっていました

●「黄海海戦」時には
 ・ マストのヤードが3本
 ・ マスト中央部にファイティングトップが存在し、4.7cm単装砲を装備
 ・ 通気菅にラッパ状のカバーが付く
 などが相違点となっています



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